擁壁歴史
②はこちら
https://www.rikuyo.jp/topnews/3787/
前回 書かせて頂いた記事で「土塁」について
福岡県太宰府市水城に調査に行ってきますと宣言した通り
行って参りました!!
初めてみた土塁
11月某日
薄曇り 風が冷たい日でした。
目的地である水城跡の歴史資料館「水城館」に行くため
JR水城駅へ
水城駅に到着すると右手には公園のように整備された場所があり
鬱蒼とし木々が見えました。
近づいていくとそこは
「土塁断面ひろば」(中央土塁)でした。
土塁断面?とふと視線を向けると
なんと土塁の断面を再現してありました。
さわるとつるつるしてます。
土塁の構造
土塁の構造を示した案内図が有りましたので写真撮ってきました
水城の構造は(おおざっぱですが)
■上部 中央部 版築
■下部 敷粗朶
歴史②で書いて補強土を用いた擁壁が「土塁」が元祖と
いわれていると書きましたが
「水城の土塁」のどの部分?と疑問がでました。
調べてみると
■下部 敷粗朶 がその部分にあたるようです。
資料を読みと
地盤が特に軟弱な箇所に樹木の枝や葉(粗朶)を敷き詰めて
その上に盛り土を施しています。
敷粗朶は地滑りを防ぐとともに、高い耐震性をもっていたと
考えられていたようです。
この土塁は7世紀に築かれました
長い時間を経て現在擁壁の技術として引き継がれているのですね。
歴史資料館 水城館
現存している水城跡(土塁)を
利用して「水城館」という歴史資料館があります。
水城の歴史についてビデオ上映や資料が沢山
置いてあります
歴史資料館でビデオを鑑賞しましたが
大変興味深い内容でした。
このまま進みと「擁壁」の内容から
大きく離れてしまいそうなので
残念ですが今回は触れません。
最後にこの歴史資料館の右手から展望台に
上がり写真撮ってきました。
この先もずーっと先まで土塁は続いてます。
全長約1.2Kmあったそうです。
土塁について調査しに行きましたが
水城の歴史の一端にも触れる事ができ
大変有意義な一日になりました。