12月・・・。
なんだかそわそわしませんか。
仕事では年内に終わらせておきたいあれこれから年明けの業務準備、忘年会や挨拶回り
プライベートでは年末の掃除やクリスマス、お正月の準備、旅行や里帰りの準備・手配と
ぎゅうぎゅう予定を詰め込んでひとり焦ってしまい、パニック状態に陥りつつある
ブログの中の人です。
毎年やることリストを完遂できず、年が明けてしまいますが、
今年もすでに終わらないフラグが立っています。
毎年慌ただしくてせわしない、でもそれもちょっと楽しんでいたりする年の瀬ですが、
今回は、なんとなく知ってるよーという人が大勢いらっしゃる『煤払い(すすはらい)』を
モーチョイ突っ込んでご紹介します。
『煤払い』と呼ばれる年中行事。いつから?
日本において掃除の概念が登場するのは、古事記に記録が残っていることから
7世紀頃だといわれています。
平安時代になると宮中行事として行われていたようです。
当時の法律についてまとめた書物『延喜式(えんぎしき)』に記述があり、
どういった手順で行うのか詳しく書かれています。
この時代では宮中を掃除するというだけでなく、厄払いの儀式として捉えられていたようです。
室町時代に入ると煤払いは神社仏閣を中心に、仏像や本堂を清める行事となりました。
京都の東本願寺、西本願寺の煤払いは室町時代のころ500年余り続く伝統行事です。
毎年12月20日、ニュース番組などでご覧になった方もいらっしゃると思います。
江戸時代になると、現代の大掃除に繋がる『煤払い』が行われるようになります。
江戸城(江戸幕府)では12月13日が「煤払いの日」と定められ、
「御事納」「御煤払」「煤取り」「煤掃き」「煤納め」と呼ばれる大掃除が行われるようになります。
幕府の行事に習うように、商家や民家でも12月13日に煤払いが行なわれていました。
庶民の間では、徒弟・奉公人たちが新年までに里帰りできるよう
この日に煤払いをしたともいわれています。
大奥から商家まで。江戸っ子はじける
江戸時代の大掃除はその名の通り『煤払い』。
今の暮らしでは煤が出ることはありませんが、薪や炭、蝋燭を使う江戸の暮らしでは
家財や天井、梁が煤で真っ黒になっていたと思われます。
煤竹(すすだけ*竹竿の先に枝葉を残したもの)などで皆で掃除にとりかかります。
作業の合間にはにぎり飯や煮しめ、おやつも出されたそうです。
煤払い終了後には、ある行為が行われていました。
それはなんと「胴上げ」です。
なんで胴上げするようになっていったのかわかっていないようですが、←ひょっとしてノリ?
煤払いが終わると、商家はもちろん、なんと大奥においても
誰かれ構わず胴上げするのが慣わしになっていたといいます。
女性陣は柱にしがみついたり幼子を抱いたりして胴上げから逃げまくっていたとか。
大奥では奥女中のほかに、武士も胴上げの標的になっていたそうです。
上に掲載した絵以外でも武士や男性を胴上げする絵が残っています。
商家では胴上げ終了後、すす餅がふるまわれ、店員たちは煤を落としに銭湯へ。
夜には店主からご祝儀酒がふるまわれ早めの解散。
そして煤払いの夜は、責任者による夜中の見回りがないため、
店員たちはこっそり抜け出して遊びに出かけたとか。
「まあ年の瀬だし (*^^)v*^^)v」と店主も大目にみていたそうです。
年末最後の出社日に掃除して納会で締めて二次会という、今の会社員とちっとも変わりませんねw。
私共陸洋コンサルタントの今年の年内営業は28日までとなっております。
当日は大掃除と簡単な軽食を出して締めくくる予定です。
今年も残り少なくなってまいりました。
皆様よいお年をお迎えください。では (‘◇’)ゞ